なかなかブログを書けないまま月日が経って・・・。
今日は中秋の名月。
外に出て、ピカピカに輝く満月を見て、そうだ、今日は中秋の名月だったことを思い出す。
昨年、娘と来年はお月見したいねと言っていたことも思い出した。
今電話をしたら、離れていても同じ月を見ることができるねと思ったら、自動的にフジファブリックの「同じ月」が頭に浮かんだ。
志村くんの書く詩にはたびたびハッとさせられる。
壊れそうに滲んで見える月を眺めているのです
察するに、月を眺めていたら目に涙が浮かんできたということなのだろう。
目に滲んだ涙越しの月だから、壊れそうに滲んで見えたのだろう。
その状況をなんともまあ美しい言葉で表現したことかと感嘆してしまう。
志村くんの書く詩には美しさがあると思う。
美しさがあるからこそ、より胸に刺さる。
そして、ただ歌詞が美しいというだけではなく、音との共鳴が自然で美しい。
単にメロディや演奏に歌詞が乗っているというのではなく、曲と歌詞がひじょうに美しく調和をしていることをたびたび感じる。
何のインタビューだったか、志村くんは曲を先に作って、歌詞は曲のイメージがより増幅されるようにつけていくといったようなことを語っていた。
歌詞と音楽とが一体化すること、歌詞は音楽をより豊かにするもの、歌は演奏の一部ような存在、そういった視点で作詞をしていたということのようだった。
その記事を読んだときに、歌詞と曲がひじょうにマッチしている理由がわかった。意識的に作っていたんだね。
とびきり美しいものに出会ったとき、なぜか胸がキュンとして、わけもわからず涙が出てきてしまうことがある。
だから、
志村くんの歌を聴きながら、壊れそうに滲んで見える月を今日も眺めているのです。