フジファブリック・志村正彦・富士吉田 × 私の脳内万華鏡

フジファブリック アルバム『MUSIC』について

先日、毎年この時期1週間限定で流れる夕方5時のチャイム『茜色の夕日』を聞きくために富士吉田へ行きました。

 

フジファブリックの初代フロントマン志村正彦さんの故郷である富士吉田市へは、娘と一緒にもう何度も行っているのですが、いつもフジファブリックのどのアルバムを聴きながら行くか考えるのも楽しみのひとつです。

 

志村正彦フロントマン時代のアルバムをいろいろ思い浮かべて、今日は『MUSIC』かなって思って、迎えに来てくれた娘の車に乗り込んだら『MUSIC』がかかってた(笑)

いろいろよくかぶりまくる気持ちの悪い母娘です(笑)

 

 

12月24日という、フジファンにとってクリスマスという言葉と共にやってくる特別な日に向けて、ブログに何を書こうかとちょっぴり悩みました。

 

このブログを始めてから初めて迎えるこの特別な日を前にしたら、話したいことがたくさんありすぎて。

というか、そうでなくてもたくさんあって、書きかけの下書きがたくさん。

ただ、特別な日だから、いつものモードで書くのもちょっとという気持ちもあって。

 

で、まぁ、いろいろちょっと悩んだ末に、直近富士吉田へ向かいながら聴きたいと思ったアルバムだし、志村正彦をボーカルとしては最後のアルバムでもあるし、『MUSIC』について書こうと思って書き始めたのが4日前。

 

書き始めたのはいいけれど、思うことがたくさんあり過ぎてなかなかまとめられず、今も全くまとまってはいないのですが、とりあえず本日一度アップしようかなと。

そうでないと他の記事のようにまとめきれないで下書きboxから出られないままとなってしまいそうなので。

 

と、前置きが長くなりましたが、始めましょう。

 

 

『MUSIC』は、2010年7月28日ソニー・ミュージック アソシエイテッドレコーズより発売された、フジファブリックデビューから5枚目のアルバムです。

ご存知の通り、このアルバムの制作途中、レコーディングに入る前にフロントマンの志村正彦さんが急逝されました。

 

志村君がいなくなってしまったことも、それによって志村君の作る新曲が聴けなくなってしまったことは本当に悲しいですが、

でもそれはどうにもならないことで、

ただそうした上で、このアルバムがあってくれて本当によかったと思います。

 

ネット上ではアルバム『MUSIC』についての情報を 今でもまだ多く見ることができます。

アルバムが発売されてから8年余り経った今もアルバムの制作背景を読んで知ることができるのは、本当にありがたいです。

 

なので私があれこれ書くまでもありませんが、

言わなくてもいいことを言いたい(笑)

 

 

『MUSIC』発売当時のexiteのインタビューでベースの加藤さんが

今回のアルバムは残った曲を寄せ集めて作った作品では決してなく、ちゃんと前に向かっているもの、彼がやろうとしていたもの。そういうアルバムを僕らなりに作っていったつもりです。

http://ent2.excite.co.jp/music/special/2010/fujifabric/music.html

と語っている通り、私自身も『SINGLES 2004-2009』やFAB BOXに収められた『B面集 2004-2009』『RARE TRACKS & COVERS』のような、ひとつのコンセプトのもとに曲を集めたアルバムといった位置づけではなく、バンドが前に進んでいく過程としてのアルバムと思って聴いてきました。

 

ただ、そういった中でボーカルギターである志村正彦さんがレコーディングを前にしていなくなってしまい、サポートドラムの刄田綴色さんやスタッフの協力を得て、残されたメンバーの手によって完成したということで、音楽史においてもフジファブリック史においても特異性のあるアルバムとなっています。

 

このアルバムにおける制作背景が背景なだけに、それを抜きにして語ることはできないのは当然のことで、それがこのアルバムの大きな特徴であるし、私ももちろんそれを抜きにして聴くことはできません。

けれど、単純にアルバムとして音楽性の高いものであることにも間違いはないと思います。 

 

私は、このアルバムが大好きです。

このアルバムには感動的な優しさに溢れていると感じます。

志村くんの優しさ、他のメンバーやスタッフの方々の優しさ、

優しさと言ったら軽く聞こえてしまうようだけど、強い強い思いが宿った優しさです。

 

 

このアルバムが完成されて、本当によかったと思います。

 

その中身について色々語りたいのですが、今日のところはひとつだけ。

アルバムタイトルにもなっている曲『MUSIC』の歌詞に、志村くんの心境の変化を感じました。

 

枯葉が舞い散ってる秋は

君が恋しくなる

記憶の中にいる君は

いつだって笑顔だけ

 

「MUSIC」 作詞・作曲 志村正彦

http://j-lyric.net/artist/a033e7f/l021c96.html

 

記憶の中の「君」がいつだって笑顔だけになってる!

 

茜色の夕日眺めてたら

少し思い出すものがありました

君が只 横で笑っていたことや

どうしようもない悲しいこと

 

君のその小さな目から

大粒の涙が溢れてきたんだ

忘れることはできないな

そんなことを思っていたんだ

 

「茜色の夕日」作詞・作曲 志村正彦

http://j-lyric.net/artist/a033e7f/l0053fd.html

 

 

お嬢さん お願いですから泣かないで

ならどうぞ 宜しければどうぞ ハンカチを

 

辺りを埋める潮風の匂い

 

お嬢さん 泣いてるお暇が有るのなら

すぐちょっと 気晴らしにちょっと 散歩でも

 

言える訳もない 言える訳もないから

 

渚にて泣いていた 貴方の肩は震えていたよ

波風が駆け抜けて 貴方の涙 落としてゆくよ

 

渚にて泣いていた 貴方の肩は震えていたよ

波風が際立てた 揺れる二人の後ろ姿を

 

「渚にて」作詞・作曲 志村正彦

http://j-lyric.net/artist/a033e7f/l0214c6.html

 

 

君はなんでいつもそんな無理に笑うの

陰で泣いた君を僕は知っている

 

「記念写真」作詞 志村正彦  作曲 山内総一郎

http://j-lyric.net/artist/a033e7f/l00c133.html

 

 

君の涙が今も僕の胸をしめつけるのです

壊れそうに滲んで見える月を眺めているのです

 

にっちもさっちもどうにも変われずにいるよ Uh~

 

君の涙が今も僕の胸をしめつけるのです

振り返っても仕方がないと 分ってははいるけれど

 

「同じ月」作詞・作曲 志村正彦

http://j-lyric.net/artist/a033e7f/l01847c.html

 

 

 気付いたときには遅すぎて彼女の涙に困ってた

その涙の訳聞いたなら 答えは言わず黙ってるのだろう

 

「笑ってサヨナラ」作詞・作曲 志村正彦

http://j-lyric.net/artist/a033e7f/l0214c8.html

 

 

 

よく女を泣かす男だなーって思ってました。

歌の中で泣かせ過ぎじゃないですか?(笑)

 

そして志村正彦の歌詞には、過去を思い返す場面が多く見受けられますが、楽しい過去の話はあまりない印象があります。

 

それが、

記憶の中にいる君は

いつだって笑顔だけ

 って、すごい変化だなって思って。

 

それだけでなく、『桜の季節』『エイプリル』『記念写真』など、それまで別れの季節として表現されてきた春が、このMUSICでは

心機一転 何もかも春は

転んで起き上がる

 と、乗り越える局面を表した歌詞で始まり、

曲の終わりは

冬になったって 雪が止んじゃえば

澄んだ空気が僕を 包み込む

 と、ひじょうにポジティブな表現で締めくくられています。

特に興味深いのは、「澄んだ空気が僕を 包み込む」と、自発的にポジティブに向かおうとしている表現ではなく、何もしなくても頑張らなくても、この世界は優しく自分を守ってくれるといったような表現がされている点で、

それは、そのように世界を感じられている自分がいるといった意味合いに受け取れるます。

 

志村くん自身がどういった心境でこの歌詞を書いたかは分りませんが、これまでとは違った変化を何となく私は感じました。

 

つい最近まで私は、本当にたくさんの名曲を作ってきた志村くんに対して、新しい曲をもっと聴きたかったという思いよりも、もうこれ以上求めるのは酷なような気がして、お疲れ様でしたという思いが強かったのですが、

もちろんそういう思いは今もありますが、

 

このアルバム『MUSIC』をこの時期に改めて聴き返してみて、

志村くんがいて完成された このアルバムを聴いてみたかった。

この先の志村くんの曲を聴いてみたかった。

そういった思いが心の底から湧いてきました。

 

それは叶うことはありませんが、

数々の志村曲には、まだまだ新鮮な驚きをもらえる可能性が満ちていると確信しているで、渡しはこれからも新しい志村正彦に出会えると思います。

 

 

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まとめきれず支離滅裂的かもしれませんが、一旦アップします。
また書き直すかもな半端な記事ですが、ご容赦ください。

そして、今日はこれから志村くんの故郷、富士吉田へ行ってまいります!

 

志村正彦が「富士山」というワードを使った唯一の歌?

日付が変わって12月24日になりました。

まだ寝てないから今日と言ってもよいような昨日23日は、なんかそわそわしてしまって。

 

今年の夏からこのブログを始めて、それから初めて迎える12月24日という特別な日を前に、何かちょっとでも特別なことを書かなければいけないような、へんな使命感というか、意気込みと言うか、それほどのものでもないけれど、でも何事も無いようにともできないし、何か書こうと思うけど、思うことや書きたいことがあり過ぎて。

 

そこで、アルバム『MUSIC』について書き始めたのですが、まとめきれないまま日をまたいで24日になってしまい、

 

で、

 

あまり神妙になりすぎるのも何だしと思っていたら、

ふと今しがた思い浮かんだことがありまして。

 

たしか娘が見つけてくれた動画だったかな。

 

「それぞれで生まれた男」で検索すると出てきます。

 

「大阪で生まれた女」の曲の自前替え歌を 寺岡呼人・志村正彦・和田唱・桜井和寿・奥田民生の順で歌います。

 

いいんですよ、これが、とても。

 

富士山の麓の町、富士吉田市に生まれ育ち、その地元愛が強かった志村正彦さんですが、リリースされたフジファブリックの曲たちには「富士山」というワードは出てきません。

何かとあえて直接的な表現をすることを避けていた傾向がありましたし、富士山はあまりにも身近であまりにも偉大で特別過ぎて、作品の中に入れるには、あまりにも私的過ぎるとか、畏れ多いとかいうのもあったのでしょうか。

 

でも、フジファブリックの看板から離れたところで地元を歌う歌にはしっかり入れてきましたね。

この歌を聴いて私はなんかホッとしましたよ。

 

そして「エベレストにはようついていけん」と言っても、「富士山で育った男」と言えるのだから、胸を張るには充分ですよ。

 

 

辿り着いたら 富士急ハイランド前

FUJIYAMAにも乗ったけど ドドンパにも乗って

河口湖の逆さ富士を 思い出しながら

中田ヒデは 股関節痛で泣けてきた

 

山梨で生まれた男 ずら

山梨の町 よう捨てん・・・ずら

富士山で育った男ずらが

エベレストにはついてゆけん・・・ずら

 

辿り着いたら 青木ヶ原樹海

磁石の針を狂わせた夜

 

それぞれで生まれた男・志村正彦偏
(耳コピのため、表記文字は不確かです)

 

2018.12.21富士吉田市防災チャイム「茜色の夕日」

一昨日の12月21日に、娘が撮った夕方5時のチャイム。先ほど娘から「youtubeに上げたよ」という連絡が入りました。

 

あと、ほんの 一瞬の動画ですが、前置きに見ると、臨場感がアップしますので、ぜひそこからスタートしてくださいませ。

チャイムの動画は、かなりゆらゆらしてますが。

 

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今回は、下吉田駅近くの富士山がよく見える小さな踏切でチャイムを聴きました。

人気のない小道の踏切。

そこでチャイムが鳴るほんの少し前、私たちの脇をかすめてピザーラのバイクが通ったの!(志村くんは地元でピザーラでバイトをしていた)

志村くん、やってくれるじゃないの。

なんてね。

 

とりあえず、明日の24日前にチャイムの動画をアップ出来てよかった。

富士吉田市・夕方5時のチャイム変更のお知らせ いつもの丘にて

今、私は今日の曇り空のように沈んでいます。

 

またやってしまいました。

昨日は夕方5時のチャイムを聴きに富士吉田へ出かけました。

あっという間だったけど、行きたいところへ行けた楽しい一日。

でも、肝心のチャイムを録音することができませんでした。

 

ただ、もうひとつ録音をしたかった、チャイムの変更をお知らせする放送はなんとか撮れました。

1週間に渡って富士吉田市の夕方5時のチャイムが『茜色の夕日』仕様になるお知らせの放送です。

初日にはこのお知らせが放送されます。

昨年の記憶から16時くらいと思っていたら、1時間ほど早かった。

いつもの丘(新倉浅間公園・忠霊棟)の階段を下りている途中で流れ出し、とっさに録ったため、その動揺で不安定な見づらい動画となってしまいました。

音も聞きづらいですが、よろしければご覧ください。

 

 

youtu.be

 

チャイムの録音は娘もしているので、それを受け取れたらアップしようと思います。

もしくは最終日にまた行けて録音に成功できたら。

いずれにしても、日にちがだいぶかかるし、アップ出来る確証はないので期待はしないでください。

 

本日は昨年録音した動画をアップします。

志村くんの母校である下吉田第一小学校校庭の隅っこで撮ったものです。

 

 

youtu.be

フジファブリック B面集について

フジファブリックのアルバム『SINGLES 2004-2009』の話をしたら、どうしても『シングルB面集 2004-2009』の話をしたくなります。

 

話の続きとしてでなくても、どうしてもしたくなってしまう『シングルB面集 2004-2009』のこと。

 

なぜなら私はこのアルバムがとてつもなく好きだから。

 

リアルタイムでフジファブリックのシングルリリースを追っていたファンの方にとっては、そうでない私とは捉える方向性が違うかもしれませんが、

シングルを持っていない私にとっては、非常に高い完成度を感じる1枚のアルバムに思えます。

カップリング曲を集めたアルバムというより、アルバムとして制作されたもののようにね。

 

近年のアーティストたちのシングルはどうなのかわかりませんが、昔からB面というと、サービスで付けたような、お茶をにごしたような、そんな印象があります。

 

ところが、フジファブリックは違う。

 

フジファブリックは志村くんの強い希望があって、カップリング曲に力を入れていたといいます。2002年9月27日 | Fujifabric EMI staffブログ

 

四季盤と呼ばれるメジャーデビューから4枚のシングルは特にA面との対比が秀逸で、サプライズが好きだったという志村くんの一面もうかがえるように思います。

 

6曲目に収録されている映画スクラップヘブンのエンディングテーマとして制作された『蜃気楼』は、A面で発売されてもいいはずなのに、なんと、このB面集に収録されるまではシングルの『茜色の夕日』のカップリングとしてしか収録されていませんでした。

 

この『蜃気楼』は本当に鳥肌もので、志村正彦の才能の奥深さとフジファブリックのポテンシャルの高さをまざまざと突きつけられた思いの一曲です。

 

キーボードのダイちゃんは、この演奏を以てしてアジカンのツアーに参加したんですよね。金澤ダイスケ(フジファブリック)×後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION) | INTERVIEW | only in dreams

 

当時知らずに茜色の夕日をシングルで買って聴いた人は、ぶっ飛んでしまったんじゃないかと、その様を想像してニヤニヤしてしまいます。

 

 

そしてこのB面集を聴いて、14曲目、最後の曲となるルーティーンが流れ始めると、その前の『熊の惑星』のアップテンポでユニークな、ついついニヤけてしまう楽しいノリから一気にクールダウン。

様々な思いが沸き上がって胸が熱くなったりしながらも、静かに静かにアルバムが終わります。

 

このアルバムの曲順は狙ってこうしたわけではなく、リリースされた順番にきちんと並べられているのですが、まるで緩急をつけて組み立てられたかのようです。

それが一枚のアルバムとして完成していると感じる理由のひとつでもあるのでしょう。

 

本当に本当に大好きなアルバムです。
このアルバムを作ってくださったことに、心から感謝いたします。

特に制作にあたって尽力くださったスタッフの今村圭介さんには、私などが言うのも変ですが、本当にありがとうございますとお伝えしたい思いです。

 

このように大変素晴らしいアルバムですが、ひとつだけ残念なことがあって、現在購入できるのはダウンロードでということになります。

 

この『シングルB面集 2004-2009』はボックスタイプの『FAB BOX』に収められたかたちでの限定販売(2010年発売・2014年復刻版発売)であり、単体でのCD購入は元々できません。

 

単体でCDを購入できるようにならないかなぁ。

私は『FAB BOX』を購入したので、正確には買ってもらったんですけど(笑)、せっかく素晴らしいアルバムなので、多くの方に持ってもらえたらいいなと思うのです。

来年のアニバーサリーに是非!

 

 

『シングルB面集 2004-2009』収録曲()内はA面

1.桜並木、二つの傘(桜の季節)

2.NAGISAにて(陽炎)

3.虫の祭り(赤黄色の金木犀)

4.黒服の人(銀河)

5.ダンス2000(虹)

6.蜃気楼(茜色の夕日)

7.ムーンライト(茜色の夕日)

8.東京炎上(蒼い鳥)

9.Day Dripper(サーファーキング)

10.スパイダーとバレリーナ(パッションフルーツ)

11.Cheese Burger(パッションフルーツ 初回限定版

12.セレナーデ(若者のすべて)

13.熊の惑星(若者のすべて)

14.ルーティーン(Sugar!!)

 

 

 

そして明日は富士吉田へ。チャイムを聴きに行ってきます!

フジファブリック・シングル集 SINGLES 2004-2009 を久しぶりに聴いて

私がフジファブリックを聴くようになってから、仕事の相棒もすっかりフジファブリックを好きになってしまいって自主的に(笑)フジファブリックを聴くようになりました。

 

同じ場所で仕事をしていることが多いため、仕事中はヘッドフォンで聴かない限り強制的に耳に入ってきてしまうはめになるのです。

 

一昨年の夏に大きな転機を迎えた仕事場は、それまで常に音楽を流していた環境からそうでない環境に変わりました。

 

先日、仕事の相棒が唐突に「フジファブリック聴こう~っと」と自主的にかけたのが『SINGLES 2004-2009』。

 

曲順をランダムにしてかけていたようなので、はじめは全アルバムの曲をランダムにしているのかと思ってしまった。

 

いつもと曲の聴こえ方が違うな、何か改めてすごく新鮮に聴こえるなって思いながら耳が自然と曲に集中していって、聴き始めから4~5曲目くらいで、ようやく『SINGLES 2004-2009』をかけていたことに気付く。

 

耳慣れたアルバムバージョンと微妙に違ってたりもするからか。

それとも、久しぶりに聴いた環境のせいなのか。

 

兎にも角にも、一曲一曲が染み入って来て、どれもいい曲だなぁ~としみじみ思う。

 

そして不思議に思うのは、シングルA面集でありながら、A面曲を寄せ集めたというより、これはこれで一枚のアルバムとして成立しているように思えること。

 

それは突出した爆発的ヒット曲がなかったということは大きいと思いますが。

幾度となく注目を集めるきっかけがあり、今やフジファブリックの代表曲のようにもなっている『若者のすべて』があるけれど、この曲がこのシングルA面集の中で悪目立ちすることもない。

 

むしろ目立つと言えば、映画『悪夢探偵』のエンディングテーマとして制作された『蒼い鳥』でしょうか。

シングル発売時にはオリコン初登場9位と、フジファブリックとしては初めて10位以内の登場を記録した楽曲であり、ライブビデオの『Live at 両国国技館』(2007/12/15収録・2008/12/17リリース)には収録をされているものの、

アルバムとしてはこのシングルA面集の『SINGLES 2004-2009』(2010年発売)に収録をされているだけで、シングル発売直後2008年1月ににリリースされたアルバム『TEENAGER』には収録されていません。

 

直後のアルバムと言っても、2007年1月のシングルリリースから1年経ってのアルバムだし、映画『悪夢探偵』のエンディングテーマとして制作された楽曲のため、『TEENAGER』のコンセプトには合わなくて収録をされなかったのかなと想像します。

少なくとも映画のテーマだからとか、オリコン登場順位が高かったからとかいった理由でアルバムに組み入れるようなことはしなかったのですね。

さすが、フジファブリック。

 

そのような『蒼い鳥』だからこそ、このシングルA面集の『SINGLES 2004-2009』の中において流れてくると、いい意味でちょっとドキッとしたものがあります。

 

ただ、この曲がアルバムの中で目立つように感じるとは言え、それぞれの曲にそれぞれの個性があるため、たぶん聴くその時々によって妙に響いてくる曲が変わるのだろうなと思います。

 

収録された11曲はそれぞれに個性的でそれぞれの特徴を持ちながらも、どれもフジファブリックであり、1曲1曲が濃密であると感じます。

 

そしてシングルA面集でありながら いい意味でこのアルバムを当時のフジファブリックの集大成のように感じないのは、シングルとしてリリースされた曲だけが濃密で突出していいといったわけではなく、その他の曲たちもシングル曲と同じように濃密さと個性を持っているからなのだろうと思います。

 

『SINGLES 2004-2009』は、この期間のフジファブリックを知る一番の近道のアルバムであり、とても素晴らしく、私にとってはいつもとまたちょっと違った角度から聴けるありがたい1枚です。

 

 

と、そんなことを思った日。

そして残るは語り切れないもどさしさ。はぁ。

 

 

『SINGLES 2004-2009』収録曲

1.桜の季節

2.陽炎

3.赤黄色の金木犀

4.銀河

5.虹

6.茜色の夕日

7.蒼い鳥

8.Surfer King

9.パッションフルーツ

10.若者のすべて

11.Sugar!!

 

 

フジファブリックに追いつけない

私がフジファブリックを知ったのは3年ほど前のことです。

初めて耳にしたのがアルバム『TEENAGER』で、それから志村正彦vo.のフジファブリックを聴き漁るようになりました。

 

それでどんどん取り憑かれてしまったため、山内総一郎vo.曲に手を付けるまでには時間がかかり、私にとってのフジファブリックは長い間 志村正彦フロントマンのフジファブリックでした。

 

音楽とは不思議なもので、好きになったときが旬なのです。

過去のものとか、現在のものとか関係ない。

 

リアルタイムでフジファブリックを聴いてこなかった私にとっては、今でこそ志村正彦フロントマン時代の音源リリースのタイムラインが整理されていますが、しばらくの間は時系列がなく、初めて聴く曲が新曲でした。

 

そのほとんどを味わってから、山内総一郎フロントマン時代の曲を少ずつ、ほんの少しずつ聴くようになり現在に至っているため、現在の私はまだ山内総一郎フロントマン時代のフジファブリックは聴いていない曲の方が多くて、時系列が曖昧なまま、現在のフジファブリックを見ています。

 

それはなんか、とても不思議な感覚。

現在のフジファブリックのリアルな新曲があり、私にとってだけの新曲もある。

 

フロントマンが変わっていないバンドなら、リアルタイムに乗っかって、聴いていなかった曲を聴いたなら「こういう曲もあったのね~」と何の不思議な感覚もなく聴けると思うのだけど、フジファブリックの場合は何か違う。

 

フロントマンが変わったからというのは言うまでもありませんが、フジファブリックの場合、フロントマンの交代理由が稀有であり、現世からいなくなってしまったはずの志村正彦は、姿は見えなくても今もいるというのを感じます。

 

それは三人のフジファブリックメンバーが、そうしてくれているからですね。

そこには大きな感動を覚えるし、私にとっては本当にありがたく、感謝の念に堪えません。

 

で、そんな稀有な流れを持つ生身三人態勢フジファブリックも、そうなってから既に10年近くが経つわけですが、私は現在に至る過程を自分なりに追いたくて。

でもまだ志村正彦フロントマンの曲には、聴くのを重ねるごとに新しい発見や感動があるため、まだまだ私にとっては新鮮な存在で。

だから、なかなかフジファブリックのリアルタイムに追い付くことができません。

 

そしてそれにはたぶんもうひとつの大きな理由があって、リアルタイムでフジファブリックを聴いてこなかった私にとっては、想像を絶するような あの日の悲しみは経験していないわけで、大きな喪失感もないわけです。

喪失感が全くないわけではないですが、きっと当時熱心なファンだった方からしたら、大海の一滴くらいなものでしょう。

 

時間的には、志村正彦vo時代にリリースしたインディーズの1stアルバムからクロニクルまでまでが約7年、musicまで入れて約8年、メジャーデビューからだとクロニクルまでまでが約5年、musicまで入れて約6年。

 

山内総一郎vo時代になってからは、リリースしたアルバムで追うと初めてのSTARから7年が経過しています。

 

単純にはメジャーデビューから志村くんのいた約5年半の倍の時間をじきに迎えようとしているわけで、私の中のフジファブリックはフロントマンのボリューム感が全くそれと一致していません。

 

まだ、一致させたくないんですね。

今と一致させたくない。

 

あの日の悲しい衝撃や計り知れなく大きな喪失感は、私にはこの先も絶対に経験できるわけはないのですが、小さなそれさえもやってくるのが怖いのだと思います。(どんとで経験してしまっていますしね)

 

だからリアルタイムでないところに居続けているのだと思います。

 

もちろんリアルタイムのフジファブリックを無視することはできないし、むしろ気にかけていますけれども。

 

NEWアルバム発売に向けたアー写の総くんの顔がすごくいいです。

INFORMATION | フジファブリック Official Website

今まで見た総くんの写真の中で一番いい目をしてると思いました。私なりの感覚ですが。

 

 

私は私なりのゆっくりなペースで、これからもフジファブリックを聴いていきたいと思います。