フジファブリック・志村正彦さんの故郷である富士吉田を訪ねた記事をたくさん書いてきましたが、「なぜここがない!?」と、自分でもつっこみたくなる場所がひとつあります。
フジファブリックのインディーズ時代の曲『浮雲』の歌詞にある『いつもの丘』。
新倉富士浅間神社と忠霊棟がある『新倉山浅間公園』、地元の方は『忠霊棟』と呼んでいるみたいですね。
ここ二度ほどは暑いとか曇っていたとか石段がキツイとかでスルーしてしまっていますが、それ以前には何度か訪れていますよー。
モチロンです。
初めて行ったのは昨年2017年1月で、色々な意味で感動しました。
まず、398段の長い階段を登る途中で振り返ったときに目に飛び込んできた富士山の雄大さには、本当に驚きました。
写真だと伝わり難いのが残念ですが、目の前にこんなに大きく裾野までの富士山を見たのは初めてでした。
山中湖の方ではもっと間近に見えたけど、それは見上げる感じで、ちょっと違う。
同じ富士山なのに、何故か違って、ここではもっと神々しく感じました。
夕方に向かったので、富士山の裾野に沈む夕日を拝むことが出来ました。
とても美しくて、太陽が完全に沈んで辺りが暗くなるまで、じっと眺めていました。
だんだんと町に明かりが灯っていき、その変わりゆく景色が美しくて美しくて、帰ることを忘れてしまいそうでした。
撮影スポットになっている五重の塔の辺りは小道が整備されています。
まだ少し上にも登れて、見晴台もありました。
そこから富士山を眺めたときに思いました。
この富士山を前にして、ロックバンドをやっていくことを心に刻んだのだとしたら、それはもう高みを目指さざるをえないだろうなと。
日本一の富士山、生まれた時からいつも自分の傍にそびえていた富士山、しかもこんなにも神々しい雄姿を前にしたなら、半端な心ではすまされないというか、半端な気持ちで臨むような自分は許せなくなってしまうのではないかと思ったのです。
単なる私の想像にすぎませんが。
この新倉山浅間公園を『いつもの丘』という言葉で表現したフジファブリックのインディーズ時代の曲『浮雲』(インディーズ1stアルバム・アラカルトに収録)。
歌詞の最後には
独りで行くと決めたのだろう
独りで行くと決めたのだろう
とあります。
最後にこの言葉を重ねていることに、強い意志を感じますものね。
そしてこの曲、私にはどうしても侍っぽいなぁと思えてしまうのです。
フジファブリックの他の楽曲にはない『浮雲』独特の感じ。
以下歌詞全文です。
登ろう いつもの丘に 満ちる欠ける月
僕は浮雲のよう 揺れる草の香り
何処ぞを目指そう 犬が遠くで鳴いていた
雨で濡れたその顔に涙など要らないだろう
歌いながら歩こう人の気配は無い
止めてくれる人などいるはずも無いだろう
いずれ着くだろう 犬は何処かに消えていた
雨で濡れたその顔に涙など要らないだろう
消えてしまう儚さに愛しくもあるとしても
独りで行くと決めたのだろう
独りで行くと決めたのだろう
フジファブリック『浮雲』 作詞・作曲 志村正彦
この曲も聴けば聴くほど、いいなぁと思う気持ちが深まる曲、そしていつもの丘に行ったなら、それはそれは更に心に滲みてきます。
そしてこの曲を侍っぽいなと思う度、フジファブリックの初期の初期にあったという『武田の心』という曲を聴いてみたいという思いが心に沸々と湧いてきます。
音源は無いのだろうか。