フジファブリック・志村正彦・富士吉田 × 私の脳内万華鏡

今日は納豆の日。そしてフジファブリック・志村正彦の誕生日に寄せて

f:id:desertrose2001:20170101000338j:plain

 

7月10日、今日は納豆の日であり、フジファブリックというバンドを作り初代のボーカルであった志村正彦氏の誕生日でもあります。

(私の娘の同級生で私とも仲良しのM子の誕生日でもあるんだけど。同じ1980年生まれ)

 

私がフジファブリックと志村正彦というミュージシャンの存在を知ってからはまだ日が浅く、それは一昨年の2016年正月のことでした。

以来猛烈にフジファブリックの音源を聴いたり、情報源の旅をしていたから、もう3年くらいは経っているような気がして自分の記録を辿ったら、やはり出会いは一昨年の2016年だった。

 

フジファブリックがデビューしたのが2004年4月14日、志村正彦が急逝したのが2009年12月24日ですから、それからずいぶんな歳月が過ぎてからの出会いでした。

 

かつて私は1990年あたりからブルーハーツからのボ・ガンボスのファンとなり、ボ・ガンボスのボーカル・ギターのどんとのことが余りにも好きすぎて、音楽関係の仕事に携わっていたわけでもなんでもないのに、その頃自分が関わっていたイベントにどんとのソロでの出演オファーをかけて、以来どんとが肉体を離れるまで何度もライブのセッティングをして出演してもらっていたという、超熱烈に敬愛するどんとファンであります。

 

それくらい私の中では、どんとというミュージシャンは別格中の別格で、彼を凌ぐミュージシャンなど現れるはずもなく、それは一生そうなのだろうと確信めいた気持ちでいることが、私にとっての自然だったのです。

 

ところが!

 

現れてしまったのです。

 

私がボ・ガンボスというバンドと、どんとを知ってから約26年、どんとが肉体を離れてから16年の時を経て。

 

志村正彦について、そしてフジファブリックというバンドについては、語りつくせない思いがもうすでに私の中に溢れかえっています。

 

そしてそれはどんなに拙い形だとしても、語り継ぎたいという思いが私の中に浮遊しはじめて1年余りが経ったように思います。

 

 

とりあえず、本日は志村正彦38回目の誕生日を祝う言葉に代えて。