2021年は、フジファブリックの創設者志村正彦さんの13回忌に当たる年。
自分のブログを読み返していたら、
フジファブリックデビュー15周年と志村君の10周年だった2019年。これを境に志村正彦という存在が世の中からふっと遠くへ行ってしまうような、そんな喪失感に似た感覚をたびたび持ってしまった。
アニバーサリーという行事でフジファブリックの、そして志村正彦という名前や姿や音楽に触れられる機会が多く、それを喜ぶ一方で、消えていってしまった記事に気付くこともあり、複雑な気持ちの一年でもあった。
と書いていた。
そんな私の気持ちをよそに、それから2年経った今年2021年は、『若者のすべて』が高校の音楽の教科書で採用されることになり、また、予定からちょっと遅れはしたものの、12月22日から下吉田駅の電車を迎える音が『若者のすべて』と『茜色の夕日』になったりと、奇しくも他界から13回忌という節目でまたフジファブリック志村正彦が注目を浴びることになった。
そのニュースを知ったときには、心から嬉しかった。
きっとご親族がまたひとつ報われた気持ちになられたんじゃないかな?といったことが想像できたのが何より嬉しかった。
あと、音楽を共に作ってきたメンバーの方たちもですね。
天国に志村くんがいて、その志村が喜んでくれるのなら最高に嬉しいし、単純にそう思えたらいいのだけど、
最近思うのは、人がこの世を去ったら、その人の残したモノ,コト,余韻のようなものは残るけど、
また、魂とかを無いものとは全く思わないけど、やはり生身の人間としての意識(心情)と魂はイコールではないと思い、
やはり人は亡くなってしまったら、その人の人生はそこで終わりなんだな、ということを最近すごく思うようになった。
そんな自分が今いるので、志村くんの曲が存命中に今のような注目をされたなら、志村くん自身がどんなにか報われただろうと、せつない気持ちになってもしまうのです。
生きていたなら、どんなにか誇らしい気持ちになれたかと。
また一方では、志村くんが若くしてこの世を去ってしまったこと、そしてその後に残されたメンバーたちがフジファブリックを解散せずに続けてくれていて、志村くんを大切にし続けてくれていること、そのことから生まれたバンドとしての稀有な生い立ちというのがあるからこその「今」があるというのも思うんですけどね。
そんなこんなの自分勝手な思いがめぐる今ですが、志村くんが残してくれた音楽は、フジファブリックを知ってから5年になる今も、私にとっては新鮮で、驚きがあり、せつなくて、やさしくて、深良くて、変わらず最高の音楽として在り続けています。