多くのファンがそうであるように、フジファブリックを知って以来、12月24日は私にとってもクリスマスイブという日以上に特別な意味を持つ日になりました。
そして今年の24日は更に特別な思いが重なりました。
2019年、この一年は色々思うことがありました。
志村くんの身体がなくなって10年。
フジファブリックのデビュー15周年の年でもありました。
二つのアニバーサリーの年。
フジファブリックのオフィシャルサイトには『フジファブリック 志村正彦没後10年 2009年映像作品集 特設サイト』と、大阪城ホール公演に向けた『15周年SPECIAL SITE』が設けられました。
志村ファンにとっては、待ち望んでいた未発表のCHRONICLE TOUR映像とデビュー5周年ツアー映像の発売は本当に嬉しいものだったと思います。
(もちろん私もすごく嬉しかった)
大阪城ホール公演に向けてプロモーション活動が活発になり、フジファブリックはメディアの露出が増え、『若者のすべて』は何度も演奏されて、フジファブリックの代表曲として広まりました。
『若者のすべて』は、志村くんが2ndアルバムリリース後なかなか曲が書けなくて、苦しい思いをし続けた中で生まれた渾身の作であったにもかかわらず、志村くんが望んだシングルリリースは、季節を外した11月となり、セールスもオリコン30位と、当時は特に注目を浴びるものにはならなかったようです。(その前にリリースされたパッションフルーツは27位、最高順位は2007年1月リリースの蒼い鳥の9位 - - wiki参照)
そんな背景をちょっと知っていたから、報われてよかったね志村くん。偉人ほど時が経ってから認めらるものだよね。なんて思っていました。
また大阪城ホールでの公演はそのホールの規模から、フジファブリックの歴史の中でも最も高い階段を上らなければならないようなミッションであったとも言えるでしょうから、そのミッションを達成すべくメンバーもスタッフもプロモすごい頑張ってるなぁ!と思い、SOLD OUTを知ったときには、すごいなぁ、よかったなぁと、とても嬉しかったです。
そんな風に2019年はフジファブリックのニュースがたくさんあって、盛り上がりを感じて、よかったな、よかったね、と思うことはたくさんあったのですが、その反面、得も言えぬ寂しさを感じてしまってもいました。
この10年という節目を一区切りとして、志村くんの存在が遠い過去のもののような位置付けになっていってしまいそうな気がして。
いや、私の中ではなりませんよ。私の中では。
フジファブリックは稀有なバンドです。
個性が強くカリスマ性のあるフロントマンをなくしながら、10年経っても活動が衰えるどころか大きなミッションをクリアしてしまう。
フジファブリックというバンドが今もなお存在していてくれているおかげで、志村正彦という人が過去に埋もれてしまわないでいる。
志村くんがいなくなっても三人で素晴らしい曲たくさん作ってて、バンドとしての衰えを感じさせない。
フジファブリックは本当に驚きと感動のバンドです。心の底から素晴らしいバンドだと思います。
私にとって、それは紛れもない事実ですし、三人のフジファブリックも応援しています。
ただそれはそれとして、この二つのアニバーサリーが終わった先を想像すると、志村正彦が今年以上にクローズアップされるときはもう来ないんだろうなと、やたら侘しい気持ちになってしまっていたのでした。
メジャーでやっていくにはセールスは欠かせない、という大人の事情もありますよね。
それもすごくわかるのです。
事務所やレコード会社やスタッフやメンバーのそれぞれの集大成ですものね。
(変に深読みをしてしまう自分もいたり。)
そして何より今のフジファブリックは、前に進まなければならない。
15周年を成功させても終わりではないですからね。
志村正彦にフォーカスをしすぎて、今のフジファブリックの影が薄くなるのもおかしな話だし。
時は無常にすぎていく。
すべては変わり続ける。
それは仕方のないことです。
2019年は、私にとって時の流れというものをすごく思い知らされた年でした。
それを更にフジファブリックというバンドを通して実感させられたように思います。
そんなこんなで心がざわついた私の2019年は下吉田でチャイムを聴いて、ひとまず幕が閉じられました。
私は私の聴き方でフジファブリックを聴いていくだけ、ただそれだけのこと。
そして私は私の生き方で生きていくだけ、ただそれだけのこと。
ー つづく・かも -