フジファブリック・志村正彦・富士吉田 × 私の脳内万華鏡

志村正彦の故郷を訪ねて2018/11/1-1『ペダル』のこととか

フジファブリックの志村正彦氏の故郷である富士吉田市下吉田に、また行ってきました。

 

一昨日早朝(私にとっては)娘からの電話で起こされました。

 

「ふんわり、富士吉田行かない?」

ふんわりって何だ。ふんわりだろうが何だろうが、富士吉田に行くのを誘われてしまったなら、よほどのことがない限り、乗らない選択はできない私。

頭はまだ朦朧としていたし、ふんわりの意味もよくわからないけど「行く。」と即答。

 

ふんわりというのは、ついでと言っては何だけど行くべきところへ寄りながら、富士吉田へ行くということでした。

 

そして寄るべき2か所へ立ち寄り、中央道を通っていざ富士吉田へ!

 

好天に恵まれ、太陽のまぶしい光が輝く中央道。向かう先は志村くんの故郷富士吉田。

となれば、志村くんの凱旋ライブに行っていない私であれど、かけるは言わずもがなのアルバム『TEENAGER』。

 

1曲目『ペダル』のイントロでフヮヮヮワ~~ッとテンションが高まりました。

久しぶりに聞いた『ペダル』。やっぱり大好きです。

 

なんでしょうね、この静かに、しかし強く心を持って行かれる感じ。

『ペダル』のイントロでは、ちょうど自転車を停止状態から足に力を入れてペダルを漕ぎ始め、そして歌に入って次第に加速を増していく、そんな感覚が私にはあります。

志村くん本人は、バスドラを自分の歩くテンポに合わせるということにこだわったという曲らしいですが、

聴き手のイマジネーションが自然に働き、膨らんでいくというのは、志村曲の大きな特徴だと思います。

志村くんも様々な解釈ができる歌詞づくりにこだわっているといったようなことを語っていましたしね。

 

本当に素晴らしいと思う。

志村正彦は偉大な音楽家だと心の底から思います。

 

音楽家としての志村正彦がすごいと思うのは、こうしたことが この曲のこの箇所だけではなく、随所にあること。

どの曲においても、1小節ごと、1音ごとに、それはそれは細かく神経を使ったであろうと思える曲の作りです。

更に曲全体がすばらしく構成されている。

更にその曲にぴったり乗せられた歌詞。志村曲において、曲と歌詞のぴったり具合は半端ない。
言葉選びが秀逸すぎると、何度も何度も感心感動してしまいます。

 

それらに私はとても大きな愛を感じるんですよ。

志村くんが一曲一曲に向けた意識の密度みたいなものをね。

音楽というものをひじょーーーーに大切にしていると感じられるのです。

音楽を作ることに対して、とてつもなく大きな責任を背負っていたのであろう。そんな風にも思います。

志村くんのリュックがいつも重かったのは、その象徴でもあるかと。

 

だから、その大きな愛は聴き手の潜在意識に響いて、顕在意識で識別する以前において自然と涙が出て来てしまうのではないでしょうか。

 

自分の経験や思い出や感情と歌詞が重なって泣けてくるということはよくありますが、志村曲の場合は歌詞と自分が重ならなくても涙が出てきてしまうことが、私にはよくあります。

 

それは、曲に宿った愛の力によるものなのではないかなと。(ここで言う愛とは、情愛次元の愛ではなく、それを超えたもの)

 

そのパワーの大きさは、志村くんの力を基軸とし、更にメンバー全員のパワーで増幅されているからたまったものではありません。

 

 

 あぁぁ、志村正彦の故郷・富士吉田へ到着する前に、ついつい興奮してしまいました。

続きは改めることにします。

 

 

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目的地が近付き、車のフロントガラス越しに大きな富士山出現!

何度見ても感動してしまう富士山パワー。